もっと好きに生きればいい。自分の心の声だけが、唯一自分にとって確かなもの
こんにちは、世界で美しく生きるフィロソフィーをお伝えしている
中川チカです。
今日のドイツは曇り空。ひんやりとした朝の日曜日は、
ひときわ温かいコーヒーがおいしいもの。
朝、キッチンに並んで、夫とともにコーヒーを淹れる時間が、
なによりも好きです。
ハワイ在住のハワイ花嫁ナビゲーターのいちまるきょうこさんから
いただいた、ハワイのKona coffee。
粗めに挽かれたコーヒーは、とっても香ばしくて、おしいくて、
今朝は、シモンパウダーをかけていただきました。
きょうこさん、ありがとうございます!
いつもとちがうことをする
日曜日は、いつもの仕事のルーティーンから少しはなれて、
夫ともに、未来のこと、自分たちが得た情報でシェアしたいことなど、
話したり、書いたりする日にしています。
今日は、夫に自分の母の話をしていて、ふっと、
なぜ、自分がこの仕事をしているのか?
という意味が、わかったような気がして、それをいそいで紙に書き留めました。
アィディアや、思考のひらめきや、形跡は、一瞬で消えてしまうので、
すぐに紙に書き留めます。
ど田舎で塾をひらいた母の話
わたしの母の口ぐせは、
挑戦したらいいやん!
もっとやったらいいやん!
それおもしろそうやん!
やってみないとわからんやん!
子どもの頃から、大人になってからも、中国に留学を決めたときも、
夫が無職になったときも、ずっと、「夢を追え!」というポリシーを貫く人でした。
わたしの妹が生まれた翌年、今から30年ほど前、
母は滋賀の田舎に小さな塾を開きました。
当時、田舎には、学習塾というものは、ほとんどなく、
祖父が畑をしている土地にもともとあった、
四方八方を田んぼに囲まれた倉庫で、赤ん坊だった妹を背良いながら、
数学と英語の塾をはじめたのでした。
わたしは、ランドセルを背良いながら、学校帰りに母の塾により、
みんなと肩を並べて、勉強をし、畑仕事を終えた祖父と一緒に家に帰る。
そんな幼少時代を過ごしました。
母の学習塾は、100人ほどの生徒が通っていて、帰宅するのは、夜の10時から11時。
その頃から、気づいていたことは、母は小学生や中学生の子供たちと本気で関わっていたこと。
授業が終わっても、なぜか帰ろうとせず、みんな残って、母と話をしていきます。
恋愛のこと
進路のこと
夢のこと
あまり覚えていないけれど、その時の母の口ぐせは、やっぱり
挑戦したらいいやん!
もっとやったらいいやん!
それおもしろそうやん!
やってみないとわからんやん!
大きな病気をして以来、母は10年ほど前に塾を閉じました。
でも、30年経った今、大人になった30代、40代の教え子の人たちが、
ひっきりなしに、母をたずねてきます。
母のニックネームは、「おばちゃん」
・おばちゃん、子供が生まれたわー
・おばちゃん、家建てたから、見に来てー
・おばちゃん、駐在でインド行ってくるわー
・おばちゃん、また家に行っていい?
・おばちゃん、飲み会しようー!
その中には、私の同級生たちもたくさんいて、
母に会いに来てくれます。
母は60歳。
大きな病気を抱えていますが、
やっぱり、30年たっても、「人を励ますこと」が生き甲斐なのだなと思います。
自分の心の声だけが、唯一自分にとって確かなもの
わたしは、コーチング・コンサルティングを通じて、
大切な人生の時間に関わる仕事をさせていただいています。
その根底にあるには、どこか母の面影があって、
好きだと思うこと、楽しいと思うこと、面白そうだと思うこと、
フタをすることなく、自分の心の声を信頼して生きること。
その気持ちをサポートしたいという想いが強いのだなぁということを、
日曜日の朝、夫の会話をしながら、ふと腹落ちしたのでした。
24歳のとき、大学の同級生だった父と結婚して、
滋賀に嫁ぎ、都会育ちの母が受けた大きなカルチャーショック、
田舎ならではの風習、そして方言、人々の考え方に苦しみ、
泣きながら、笑いながら、病気で死にそうになっても、
でもこれだけ多くの人たちに訪問してもらえる
母の人生は、やっぱり素敵なんじゃないかと思うし、
わたしも、そんな風に人と関わっていきたいと思うのです。
終わりに
今日の、ブログのタイトル、
もっと、好きに生きればいい。自分の心の声だけが唯一自分にとって確かなもの。
この言葉は、読んでくださっているみなさんにお伝えしながらも、
わたしも自分に言い聞かせている言葉でもあります。
「人生は楽しむためにある」という、子供の心をとりもどしたわたしは、
以来、本当に生きることが楽しくなりました。
純粋に、おもしろう!好き!楽しい!という、自分の心の声を聞いて生きること。
人生に希望をもって生きる、特効薬であり、
唯一確かなものだと、わたしは考えています。
それは、社会の価値観にそうことや、損得の計算を捨てることでもあります。
情報、他人、時代にふりまわされず、ちゃんと自分の声を聞く人でありたい、
そして、そんな人がたくさんいる世界は、魅力的だと思うのです。
時に、一時的な敗北を味わっても、安定を捨てることになっても、
それでも、わたしは、生きている間に何度も「目頭が熱くなり、生きている実感を味わいたい」と思っています。
これが、わたしの生きる目的であり、
これがない人生は、わたしにとっては、死んだも同然みたいです・・。
迷ったときは、いつも「どう生きたいか?」を思い出して、前に進んでいきます!
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