時代の変化をものともせず、なりたい自分を叶える唯一の方法
こんにちは、グローバルビジネスコーチ
中川チカです。
チェンマイからバンコクに戻ってきました^^
この国は、本当にコントラストが強くて、
生きている人たちのエネルギーが図りしれません。
もっと良くなろう!もっと豊かになろう!という、いい意味で、まだ全てを手に入れていなからこそ、
湧き上がるバイタリティーのようなものを感じますね。
心の豊かさを求めて
近年、中国も経済成長をしていく中で、「心の豊かさ」を求めて、
チベット仏教に傾倒する人が増えているとか。
わたしの同年代の中国人の友人たちも、昔のように、ただ給料のいい仕事、
待遇のいい仕事を求めることから、やりがいのある仕事、
自分の生き様を反映した仕事を選ぶようになってきたと言っています。
バンコクの街は、驚くほどインターナショナルで、
アジア、インド、アラブ、欧米、アフリカなど様々な人々のが集まります。
日本食はもうブームを超えて、定着しつつありますね^^
一風堂、モスバーガー、CoCo壱番屋、やよい軒、大戸屋など、
高級ショッピングモールの食のフロアーは日本食が軒を連ねます。
思い描いた未来はいつでも想像を裏切られる
私がはじめてバンコクに来たのは、今から15年前の18歳のとき。
名古屋のNGOが主催するボランティア活動に参加したことがきっけでした。
まだ、タイが発展途上国としての見られている時代で、
今のように日本にタイ人が旅行に来るということは考えられない時代。
わたしは、大学の専攻を選ぶとき、国際開発に興味があり、
途上国を支援することを将来の仕事にしてはどうか?と考えていた時期がありました。
大学1年生になったとき、一度その現場をこの目で見てみようと、
国際協力を調べていたところ、たまたま名古屋のNGOセンターが
タイでのスタディーツアーを開催していることを知りました。
金額にして20万円。人生初めての高額な自己投資でした。
大学生になりたての自分にとってはなかなか高額で、
アルバイトをして貯めたお金を全部つぎこみましたが、
決断できた自分をうれしく思ったのを覚えています。
スタディーツアーは、18歳から60歳まで幅広い年代20人が参加。
その時、はじめて、のちの勤務することになるタイ国際航空に乗って、
バンコクへと向かいました。
まだ、現在のスワナプーム空港はなく、ドンムーアン空港に降り立ち、
その熱気と肌に染みつくような匂いにむせかえった記憶があります。
街を歩いていて、きれい!と思った記憶は一度もなくて、
ハエを手で払いながら、麺を食べたり、屋台に吊るされたニワトリの丸焼きを分けて食べていました。
バンコク、チェンマイ、コンケーンと3都市をまわり、
HIVに母子感染した孤児たちの生活施設、日本のNGOによって設立された学校、
山岳少数民族の家庭をまわり、NGOの支援を見て回りました。
変化は必ず訪れる
そのときのタイの印象と、今のタイとは、バンコクなどの
大都会にいるとまるでちがっているんですが、
少し下町に行くと、汚くて古い屋台が立ち並び、
裸でおじいさんが軒先で夕涼みしていたり、お父さんが器用にバイクに子供を
3人乗せて走っていたりする光景もあります。
そんな光景の目の前には、ベンツが並ぶコンドミニアムやホテルがドーンと立っていて、
このコントラストに不思議な感覚を抱きながら、
これからの10年、一体どんな風にになっているのだろう?とふと感じました。
そしてこんなことを感じました。
変化はゆるやかに訪れる。
世の中には、変化しないものは、一つもなくて、街も人も、ゆるやかに変化しています。
私たちも、変化は小さくて気づかないけど、毎日小さな変化をしていますよね。
歳を重ねるということは、変化なわけです。
わたしは、自分が変化をとりにいくのが「怖い」と感じるとき、こう考えるようにしています。
「変化」をしなくて「現状維持」はすなわち、「退化」だと。
「変化をしたくない・・」「安全なままでいたい・・」と思えば思うほど、
人はこれからの将来を不安に感じるようになります。
なぜなら、今日お話ししたように、時代も、状況も、刻々と変化していくから。
まわりの環境が変化していくことに怯えず、
唯一、自分が、凛と胸をはって、堂々と歩いているためには、必要なことは、
自ら変化をとりにくこと。
10年後を、今の状況の延長で人生設計したところで、
それ通りの未来があるなんて、何一つとして確実じゃないです。
だからこそ、自分が進化をできるように、あえて今、
何の不自由もない素晴らしい環境にいるなら、変化をとりにいく。
そうして、人は研ぎ澄まされて、磨かれて、変化がある時代でも、口笛を吹きながら、
さっそうと歩いていけると思うのです。
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